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2008年12月19日 (金)

12月20日

デパート開業の日
1904(明治37)年、東京・日本橋の三井呉服店が三越呉服店と改称し、
日本で初めてのデパート形式での営業を開始した。

シーラカンスの日
1952(昭和27)年、7500万年前に絶滅したとされていたシーラカンスが
アフリカ・マダガスカル島沖で捕獲され学術調査が行われた。
1938(昭和13)年に南アフリカで捕獲されて生存は確認されていたが、
学術調査が行われたのは初めてだった。

1537年 - ヨハン3世、スウェーデン・ヴァーサ朝第3代国王(+ 1592年)
1851年 - クヌート・ヴィクセル、経済学者(+ 1926年)
1856年 - アンドリュー・セス、哲学者(+ 1931年)
1864年 (元治元年11月22日) - 竹内栖鳳、日本画家(+ 1912年)
1868年 - ハーベイ・ファイアストーン、実業家・
        ファイアストン社創業者(+ 1938年)
1873年 - 朝河貫一、歴史学者(+ 1948年)
1890年 - 柴田徳次郎、教育者(+ 1973年)
1897年 - 呉茂一、西洋古典学者(+ 1977年)
1901年 - 保利茂、政治家、第59代衆議院議長(+ 1979年)
1902年 - 出羽ヶ嶽文治郎、大相撲力士(+ 1950年)
1904年 - 藤本定義、野球選手・監督(+ 1981年)
1907年 - 藤枝静男、作家(+ 1993年)
1907年 - 竹内理三、歴史学者(+ 1997年)
1921年 - 五味康祐、作家(+ 1980年)
1922年 - ジョージ・ロイ・ヒル、映画監督(+ 2002年)
1925年 - マハティール・ビン・モハマド、マレーシア第4代首相
1927年 - 金泳三、第14代韓国大統領
1935年 - 沢りつお、声優
1935年 - 関口房朗、実業家・競走馬馬主
1938年 - 広瀬襄、映画監督
1940年 - 辻佳紀、野球選手(+ 1989年)
1940年 - 野口悠紀雄、経済学者
1942年 - 金子一義、政治家
1942年 - 岩尾正隆、俳優
1946年 - ユリ・ゲラー、超能力者
1947年 - 大矢明彦、野球選手・監督
1948年 - 内田光子、ピアニスト
1949年 - 加藤初、野球選手
1951年 - 鈴木茂、ギタリスト
1955年 - マルティン・シュルツ、政治家
1955年 - 野田秀樹、劇作家
1958年 - 桂小米朝(三代目)、落語家
1958年 - 速見圭、声優
1959年 - 草上仁、小説家
1959年 - 中山竹通、ソウルオリンピック・バルセロナオリンピックマラソン代表
1961年 - フレディ・スペンサー、オートバイ・レーサー
1963年 - 奴田原文雄、レーシングドライバー
1964年 - マーク・コールマン、総合格闘家
1965年 - 服部義夫、アナウンサー
1966年 - 葛城七穂、女優・声優
1966年 - 冬馬由美、声優
1968年 - カール・ヴェンドリンガー、レーシングドライバー
1969年 - 池森秀一、ミュージシャン(DEEN)
1969年 - 横山智佐、声優
1969年 - 荻原健司、国会議員
1969年 - 荻原次晴、スポーツコメンテーター
1970年 - コザ暴動。 
1972年 - 力皇猛、プロレスラー・力士
1973年 - 浅越ゴエ、漫談家・お笑いタレント
1973年 - 桜井幸子、女優
1973年 - 城みちるがシングル『イルカにのった少年』で歌手デビュー。
1974年 - Die、ギタリスト (Dir en grey)
1975年 - 和佐由紀子、アナウンサー
1978年 - 三井学、ミュージシャン(カオマイルド)
1978年 - 村田一誠、騎手
1978年 - アマンダ・スウィステン、モデル、女優
1979年 - 増川弘明、ミュージシャン(BUMP OF CHICKEN)
1979年 - 松本賢一、ミュージシャン ベーシスト(元ロードオブメジャー)
1980年 - アシュリー・コール、サッカー選手
1980年 - 池田武央、Helsinki Collision 代表
1981年 - 田原あゆみ、AV女優
1982年 - 倉貫匡弘、俳優
1983年 - 大島崇行、野球選手
1983年 - 柴田奈津子、岡山放送アナウンサー
1983年 - 吉田隼人、騎手
1983年 - 寺島拓篤、声優
1987年 - 大久保あすか、AV女優
1991年 - トイザらスの日本第一号店が茨城県稲敷郡阿見町に開店。 
1988年 - 山下翔央、ジャニーズJr.、Ya-Ya-yahのメンバー
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

2008年・・・

沖縄琉球学園

訃報 「ビルマの竪琴」のモデル、中村一雄さん死去

12月20日11時32分配信 毎日新聞

訃報 「ビルマの竪琴」のモデル、中村一雄さん死去

亡くなった「ビルマの竪琴」のモデル、中村一雄さん=1998年撮影

 竹山道雄の小説「ビルマの竪琴」の主人公、水島上等兵のモデルといわれる
群馬県昭和村、僧侶、中村一雄(なかむら・かずお)さんが17日、老衰のため死去
した。92歳。葬儀は26日午前9時半、同村、川額1171の自宅、雲昌寺。喪主は
長男で同寺住職、真一(しんいち)さん。

 群馬県生まれ。福井県の永平寺で修行中に召集され、東南アジアを転戦し
インパール作戦に参加、終戦をミャンマー(ビルマ)で迎えた。捕虜となり収容所生活を
送りながらコーラス部隊の一員として捕虜となった日本兵を励まし、死者の供養を
行ってきた。竹山の教え子が同じ部隊いた縁で、小説のモデルになったといわれている。

 復員後、47年から同寺の住職となり、自らの体験を若い人に伝えたいと児童書
「ビルマの耳飾り」を出版、67年に講談社児童文学新人賞を受賞した。98年には
「恩返しに」と、戦時中駐留していたキンウー市に小学校建設のため私財を寄付した
のをはじめ、しばしばミャンマーを訪れ慰霊を続けてきた

X JAPAN、プレイガイドの回線パンク 

12月20日13時57分配信 BARKS


X JAPAN、プレイガイドの回線パンク

X JAPAN

12月19日、ようやく赤坂BLITZでのカウントダウン公演<X JAPAN COUNTDOWN
GIG ~初心に帰って~>の詳細が発表されたX JAPANだが、詳細が発表された
20日土曜日の深夜0時より、YOSHIKIのオフィシャル携帯サイト「YOSHIKI mobile」で
赤坂BLITZでのカウントダウン公演、及びTOHOシネマズでの『CINEMA LIVE』公演の
先行抽選受付がスタートした。

【関連動画】「I.V.」ライヴ映像(04/05/2008@ hide memorial summit)

緊急告知の上、深夜0時スタートという異例の状況でありながら、受付スタートと共に
数万のアクセスが殺到。当然、赤坂BLITZ公演は、予定枚数を大幅に超えた応募が
殺到。そのため急遽関係者席100席を開放し予定枚数に追加されることが決定され、
12月21日(日)には、再度「YOSHIKI mobile」「X JAPAN STREET ARMY」「各メンバー
サイト」でも抽選受付がスタートとなることとなった。

また、<CINEMA LIVE>の1万席も瞬時に予定枚数を上回る応募が殺到、映画館での
チケットにも関わらずプレイガイドの回線がパンクするという異例の事態となった。
このためTOHOシネマズでも更なる1万席の追加を決定したようだ。



2007年・・・

ウガンダ当局、自宅にトイレ設置していない人を逮捕
12月20日9時48分配信 ロイター

[カンパラ 19日 ロイター] 当地の地元当局は、自宅にトイレを
設置していないとして、少なくとも100人のウガンダ人を逮捕した。
地元メディアが19日に報じた。同国では現在コレラがまん延し、
164人が感染、8人が死亡している。
 同国北西部Bulisa地区の当局者は18日、国営日刊紙ニュービジョン
に対し、「われわれは、人々が(コレラで)死ぬのを見ていられない」
と語り、自宅にトイレを設置していない者の逮捕について弁明した。
 警察のスポークスマンはロイターに対し、同国では、適切なトイレを
設置せずに家を建てることは禁じられているが、逮捕については前例が
ないと述べた。
 同国東部では9月、同様の理由で70人のウガンダ人が拘束された。
地方の村にはトイレを設置していない家屋が多くあるという。
 コレラのまん延は、不十分な下水設備によるものが一般的。

最終更新:12月20日9時48分

トルシエ“魔術”秋田が現役復帰!
12月20日7時2分配信 スポーツニッポン

 JFL(日本フットボールリーグ)のFC琉球の総監督に就任した
フィリップ・トルシエ氏(52)が、補強第1弾として元日本代表
DF秋田豊(37=前京都)を獲得した。秋田のリーダーシップを高く
評価する同監督が熱望し、現役引退を発表していた秋田も、引退を撤回
して快諾した。トルシエ氏は、19日に那覇市内で就任会見を行い
「素晴らしいチャレンジだ」と抱負を語った。

 FC琉球を強くしたいというトルシエ総監督の熱意の表れだった。
前日夕方に那覇に到着すると、さっそく日本代表監督時代の愛弟子・
秋田と連絡を取った。「FC琉球を強くしたい。手を貸してくれ」。
引退を発表していた37歳のベテランの心が揺れた。
その場で引退を撤回し、FC琉球入団を内諾したという。

 秋田は今季名古屋からJ2京都に移籍したが、ケガもあって出場は
14試合にとどまった。京都がJ1昇格を果たして一区切り付いたこと
から、今季限りでの引退を表明していたが、FC琉球で新たな挑戦を
始めるトルシエ氏にとっては、必要な人材だった。

 日本代表の指揮を執った02年W杯日韓大会でトルシエ氏は、
FW中山雅史(磐田)とともに大会直前に秋田を代表メンバーに選んだ。
闘志あふれるプレーが若手の手本になるということに加え、トルシエ監督
と若い選手のパイプ役になることを要求した。W杯では1試合も出場
する機会はなかったが、最も信頼を寄せていたベテランだった。

 チームを強くするためには、自分の考えを熟知し、プロ意識を注入でき
るベテランが不可欠。秋田は、来季は選手に専念する予定だが、指導者と
しても期待しており、2~3年後には監督兼任となる可能性もある。
「3年以内にJ2、5年でJ1。そしてJ1に居続けられるチームにしたい」
と野口社長が語る目標。秋田というリーダーを得て、沖縄が活気づいてきた。

 <「ハイサイ」「チバリヨー」ご機嫌です>トルシエ氏は会見で、
総監督就任を決意した経緯を「野口社長の夢と情熱が私を魅了した。
FC琉球を完全なプロにし、エリートに導きたい」と説明した。
野口必勝社長は、パリやオーストラリアまで出向いて口説いたという。
その熱意が就任の決め手だった。

 総監督の役割について「私は監督ではない」とベンチでの指揮について
は否定したが、トップチームを時間が許す限り指導すると同時に、
チーム全体の方向性なども決めていくという。そして「J1に上がれば
鹿島や浦和とここで対戦できる。FC琉球だけでなく、沖縄全体を巻き
込む大構想だ」と続けた。

 かりゆしウエア姿で登場し「ハイサイ」「チバリヨー」など、方言も
織り交ぜながら会見したトルシエ氏は、沖縄にサッカーを根付かせる
「大構想を自分の手で引っ張っていきたい」と話した。

 ◆秋田 豊(あきた・ゆたか)1970年(昭45)8月6日、
愛知県生まれの37歳。愛知高校から愛知学院大を経て、93年に
鹿島入り。当たりの強い大型ストッパーとして頭角を現し、94年には
日本代表入りした。W杯は98年フランス大会と02年日韓大会に出場。
04年に名古屋に移籍し、今季からJ2京都に所属。J1通算は
391試合23得点。J2京都では14試合0得点。国際Aマッチ
通算45試合4得点。1メートル80、78キロ。

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受信: 2008年12月20日 (土) 午前 11時30分

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